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原爆ドーム近くの「かき船」に思うこと。

本日の毎日新聞に掲載されていた記事について

すごく考えさせられたので書いておきます。



広島市の原爆ドーム近くで「かき船」を営業するための

河川使用許可を認めた国に対して

19名の被爆者の方々が取り消しを求めた訴訟の判決が

19日に広島地裁で言い渡されるそうです。



「かき船」とは広島県名産のカキ料理を提供する船型の飲食店のことで

古くは江戸時代からそのような形式の飲食店があったそうです。

ウィキペディアなどを調べると

現在営業するのは2艘で

1艘「かき船 ひろしま」は下流の原爆資料館の近くにあり、

もう1艘「かき船 かなわ」(1963年から営業)が原爆ドームのすぐそばにあり

たいへん問題になっているみたいです。

位置的に原爆ドームと原爆資料館の中間くらいの川べりにあって

どちらからも近いです。

もともとは2艘とも原爆資料館のそばにあったそうですが

台風の影響で流され漂流したことから

河川を管理する国から移転を求められ

広島市などでつくる協議会が原爆ドーム近くでの営業を承認し

国も占有を許可したそうです。



被爆者の皆さんが懸念しているのは

鎮魂の場である原爆ドームのすぐ近くで

カキを食べたり酒を飲んだりするのが見えるので(船だから丸見え)

違和感を感じ苦痛を覚えるそうです。



私はこの記事を読んだ時に

「そのような場所で飲食して美味しく食べることができるのだろうか」

と疑念を持ちました。

かき船の運営会社に対しては

移転の代替案としてやむをえなかった面もあるかもと理解はできるのですが、

お客さんとしてそういう場所で飲食することに抵抗はないのかな~~

と思ったのです。



家族にどう思うか聞いてみたところ

「万里の長城だって言ったら戦争の遺構だけど

物見遊山の観光客がたくさん来てるし、

大阪城なんか歩きながらタコヤキ食べたりしてるよね」

と言うのです。

なるほど、そのような考え方も一理あります。

でも、それとこれとを一緒にするのは何だか違う気がします。

それは、万里の長城や大阪城で家族を亡くした遺族は

もう生存していないけれど

先の戦争で家族を失った人や

原爆後遺症に苦しんでいる方々は

まだまだたくさんいらっしゃるからです。

歴史として風化しているかいないかの違いなのかなと思いました。

そして、広島や長崎も戦争も原爆も風化してきているのだなと思いました。

それが良いのか悪いのか。

嫌なことは忘れる方がいいのでしょうかね~~



国との訴訟ですから

敗訴することになるのか

もしくは門前払いになるのかわかりませんが

戦争遺族や被爆者の方々が訴訟を起こした気持ちは

充分理解できます。

でも、こういうのも時代の流れなのかな~~

と感じてしまいました。



また広島県や広島市も

当事者意識が無いのだなと思いました。

戦後生まれで

戦争の悲惨さや苦しさを直接知らない世代として

先人たちに申し訳ないように思っていたのですが、

広島市や広島県も原爆被害を重要視していないのだなとわかったら

なんだか胸のつかえが取れた感じです。

原爆の遺構のそばにまた別の観光資源が組み込まれることで

観光都市として整備されていくことと、

原爆投下の日に記念式典をして神妙な気持ちを装うことは、

何と言うのか・・・

ダブルスタンダードとでも言うのでしょうか?

世界遺産の保護をしているイコモスが苦言を呈するのも分かります。

若い人の中に日本が戦争をしたことを知らない人たちが増えるのも道理ですね。



広島市の公的なホームページに飲食店の紹介がありまして

「かき船」を観光資源として紹介しているのですが

「かき船 かなわ」は載っていますが

「かき船 ひろしま」は載ってなかったのですが

何ででしょうか?

私の探し方が悪かったのかな?

載ってたらごめんなさい。




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