阪神淡路大震災から23年が経ちました。
阪神淡路大震災で亡くなられた方々に哀悼の言葉を捧げます。
あれからもう23年も経ったのですね。
時間の過ぎるのは早いですね。
毎年毎年
もうあれから何年か
と、感慨深い思いをするのですが
今年は「震災遺児」の特集をテレビでよく見かけるので
ブログを書きます。
23年前の早朝の5時46分ごろ
神戸や淡路島に大きな被害をもたらした大地震が発生しました。
私は関西在住ですので
その地震を経験しました。
何となくふと目が覚めたら
ゴーという音がするのです。
その音がだんだんと近付いてくるので
布団の上に起き上がって正座して
音が来る方向を確かめようと耳をそばだてました。
何の音かわかりませんでした。
何かが近付いてくる音。
一番初めに思ったのは大型トラックです。
でも、我が家の周りは住宅道路はあっても
大型トラックが迫ってくるような大きな道はありません。
そうこう考えている間が何秒かわかりませんが
布団に正座して考えていました。
すると家族が起きて
「音がするね」と話したような記憶があります。
それと同時ぐらいに
ぐらぐらと揺れ始めて「地震!」ということがわかりました。
はじめは震度3くらいかと思いました。
というのも、もう一人の家族がまだぐーぐー寝ていたのです。
その枕元に違い棚があって
飾っていた人形がぐらぐらと倒れそうになって来たので
寝ていた家族を起こしました。
まだ「なに~~?」とか、寝とぼけていたように思います。
その後の記憶はあまりありません。
もの凄く激しい揺れが襲ってきたのですが
寝ていた母屋から離れに移動しようとしていて
自分たちも動いていたので
どれだけの揺れかは覚えていません。
あとから家族に聞くと
「渡り廊下が揺れて歩きにくかった」と言っていました。
その当時飼っていた猫2匹も呆然としていました。
1匹はすぐに捕獲できたのですが
もう1匹が驚いて開いていた窓から逃げてしまって
捕まえることが出来ませんでした。
「こんな地震のなか、外に出てしまったら二度と帰って来れないんじゃないか」
とお別れを覚悟しました。
離れに避難してテレビをつけたように記憶しています。
家族がラジオを持ってきましたが
ラジオは聞いていないので
テレビで情報を得たと思います。多分。
私は揺れ始める前から起きていたのですが
本震の揺れが収まったときのことは記憶していないのです。
というのも
離れに避難しましたが
猫を捕獲しにまた母屋へ戻ったりして
渡り廊下を何度も往復していたので
揺れがわからないのです。
その後、離れに落ち着いた後も余震が何度か来ていたように思います。
結局、逃げて行った猫も夕方帰ってきましたが
足の肉球は皮がめくれて血が出ていて
足の爪もすり減っていました。
余震で揺れる中を
あっちへこっちへと逃げ回っていたものと思われます。
もう1匹の猫は毛布にくるまって、ぬくぬくと寝ていたのに。
その姿はとても対照的でした。
幸いなことに我が家は損壊もしませんでしたし
人的被害もありませんでした。
夜が明けて余震も収まってはいましたが
被害の全容はまだ分かりませんでした。
断片的に映像が流れては来るものの
あれだけたくさんの方が亡くなっていたとは想像すらしていませんでした。
youtubeで当時のNHKニュースの映像を見ましたが
「いま、神戸の震度が6と出ました」とか言っていますね。
震度が7と確定されたのは
何日か経ってからのことだと記憶しています。
この時のNHKアナウンサーさんの落ち着いた報道が
とても印象に残っています。
震災後23年経過すると
震災遺児の方々が大人になって
新しく自分の家庭や家族を持つようになります。
報道番組で震災遺児の方が
「亡くなった家族の分まで生きなければと思って
頑張り続けて辛かった」
と話していました。
切ないですね。
亡くなったお父さんやお母さんは
我が子が元気に楽しく暮らしてくれることを願っていたと思います。
どんな慰めの言葉も軽くなってしまうでしょうが
「無理しなくてもいいよ」
と言ってあげたいです。
その後、日本では東日本大震災や多くの地震を経験しました。
またいつ地震が来るかもわかりませんので
防災備蓄だけはしっかりしておこうと思っています。

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あれからもう23年も経ったのですね。
時間の過ぎるのは早いですね。
毎年毎年
もうあれから何年か
と、感慨深い思いをするのですが
今年は「震災遺児」の特集をテレビでよく見かけるので
ブログを書きます。
23年前の早朝の5時46分ごろ
神戸や淡路島に大きな被害をもたらした大地震が発生しました。
私は関西在住ですので
その地震を経験しました。
何となくふと目が覚めたら
ゴーという音がするのです。
その音がだんだんと近付いてくるので
布団の上に起き上がって正座して
音が来る方向を確かめようと耳をそばだてました。
何の音かわかりませんでした。
何かが近付いてくる音。
一番初めに思ったのは大型トラックです。
でも、我が家の周りは住宅道路はあっても
大型トラックが迫ってくるような大きな道はありません。
そうこう考えている間が何秒かわかりませんが
布団に正座して考えていました。
すると家族が起きて
「音がするね」と話したような記憶があります。
それと同時ぐらいに
ぐらぐらと揺れ始めて「地震!」ということがわかりました。
はじめは震度3くらいかと思いました。
というのも、もう一人の家族がまだぐーぐー寝ていたのです。
その枕元に違い棚があって
飾っていた人形がぐらぐらと倒れそうになって来たので
寝ていた家族を起こしました。
まだ「なに~~?」とか、寝とぼけていたように思います。
その後の記憶はあまりありません。
もの凄く激しい揺れが襲ってきたのですが
寝ていた母屋から離れに移動しようとしていて
自分たちも動いていたので
どれだけの揺れかは覚えていません。
あとから家族に聞くと
「渡り廊下が揺れて歩きにくかった」と言っていました。
その当時飼っていた猫2匹も呆然としていました。
1匹はすぐに捕獲できたのですが
もう1匹が驚いて開いていた窓から逃げてしまって
捕まえることが出来ませんでした。
「こんな地震のなか、外に出てしまったら二度と帰って来れないんじゃないか」
とお別れを覚悟しました。
離れに避難してテレビをつけたように記憶しています。
家族がラジオを持ってきましたが
ラジオは聞いていないので
テレビで情報を得たと思います。多分。
私は揺れ始める前から起きていたのですが
本震の揺れが収まったときのことは記憶していないのです。
というのも
離れに避難しましたが
猫を捕獲しにまた母屋へ戻ったりして
渡り廊下を何度も往復していたので
揺れがわからないのです。
その後、離れに落ち着いた後も余震が何度か来ていたように思います。
結局、逃げて行った猫も夕方帰ってきましたが
足の肉球は皮がめくれて血が出ていて
足の爪もすり減っていました。
余震で揺れる中を
あっちへこっちへと逃げ回っていたものと思われます。
もう1匹の猫は毛布にくるまって、ぬくぬくと寝ていたのに。
その姿はとても対照的でした。
幸いなことに我が家は損壊もしませんでしたし
人的被害もありませんでした。
夜が明けて余震も収まってはいましたが
被害の全容はまだ分かりませんでした。
断片的に映像が流れては来るものの
あれだけたくさんの方が亡くなっていたとは想像すらしていませんでした。
youtubeで当時のNHKニュースの映像を見ましたが
「いま、神戸の震度が6と出ました」とか言っていますね。
震度が7と確定されたのは
何日か経ってからのことだと記憶しています。
この時のNHKアナウンサーさんの落ち着いた報道が
とても印象に残っています。
震災後23年経過すると
震災遺児の方々が大人になって
新しく自分の家庭や家族を持つようになります。
報道番組で震災遺児の方が
「亡くなった家族の分まで生きなければと思って
頑張り続けて辛かった」
と話していました。
切ないですね。
亡くなったお父さんやお母さんは
我が子が元気に楽しく暮らしてくれることを願っていたと思います。
どんな慰めの言葉も軽くなってしまうでしょうが
「無理しなくてもいいよ」
と言ってあげたいです。
その後、日本では東日本大震災や多くの地震を経験しました。
またいつ地震が来るかもわかりませんので
防災備蓄だけはしっかりしておこうと思っています。

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